午前中ビジャ・エル・サルバドルの学校や、水案として乗船してくれたフアンさんが設計した図書館などを見学した後、
セダップという団体によってチンチョにつくられた、お遊戯図書館へ。
今日はツアーを3つのグループに分け、それぞれ異なる共同体を訪問したのだけど、その中でもここはまだ貧困の度合いはましなのだそうだ。
そうはいっても、乾燥した地域にレンガでつくった粗末な家が建ち並んでいる光景は、やはり荒涼としている。
この非常に短いペルー滞在の間、バスから眺めてきた街並みと比べると、“スラム”という呼び方が頭から離れない。
共同体を囲む砂山の斜面にひとつ、むしろでつくられた、掘っ建て小屋と呼ぶのもはばかられるようなものがあり、人が住んでいた。
10年前人々が暴力から逃れ、山岳地帯からこの場所へと移住してきたときは、すべての人がそんなむしろの小屋に住んでいたのだそうだ。
それを考えると、この10年でだいぶ“発展”したのも確かだ。 あと10年たったらいったいどうなっているんだろう。
さて、お遊戯図書館。 日本でいえば学童保育みたいな感じだろうか…普段は主婦をやっているおばちゃんたちが午後から集まってきて(午前中は家事)、
子供たちの宿題を見てあげたり遊んであげたり。 ボランティアでやっているのだそうだ。
このおばちゃんたちが異様に明るくって、午後子供たちがやってくるまでは、お昼を食べながら彼女たちと大いに盛り上がった。
まるでおばちゃんと交流、という感じ。
彼女たちの話では、ここでの仕事で特に重要視しているのは、子供たちの心のケアなんだそうだ。
ペルーが経験した暴力の時代、それに伴う家庭崩壊、もちろん貧困といった問題も、子供たちの心に様々な形で傷を残してきた。
単純に、親の愛情というものに飢えている子供もいる。 そういった心の傷は、トラウマとして残ったり、その後の子供の性格形成にも影響を与えたりする。
たとえばみんなで遊んでいるとき、急にアグレッシブになったり、というように。
そういういろんな問題を抱える子供たちに、最大限の愛情を持って接してやることが、彼女たちの大きな使命なのだ。
話を聞いて昼食をとった後は、少しずつ集まってきた子供たちと、外に出て遊ぶ。
お互い出し物を披露したり、一緒に手をつないで踊ったり。 追いかけっこをするグループあり、また折り紙をするグループあり。
その間、今回ガイドとして同行してくれたセダップの人に、今回私たちが来たことにどういう意味があったかな?と聞いてみた。
サッカーボールとか、そういった“モノを贈る”という行為が持つ以外に。 それは、毎回交流コースに参加するたびに思っていたことでもあった。
私たちの側はいろいろ学ぶことができた、でも相手にとって、何かよかったことってあったのかな?
彼いわく、ここに来ている子供たちは、貧困から派生する様々な問題を抱えている。
自分が愛されている、そう単純に思うことさえ難しかったりするのだ。
だから、今日こんなふうに私たちがやってきて、子供たちと楽しく遊んだということ、ただ、私たちが彼らに会いに来て手をつなぎ、
抱きしめてあげたということは、彼らにとってすごく大きな、そして印象的な出来事なのだ。
彼らはどれだけ時間が経っても今日のことを覚えているし、それがこれから先も生きていくために、どんな形ででも、支えになっていくのだ、と。
何だかほっとした。 そういうのって、第三者の勝手な思いこみとか理想論でしかないような気がしていたから。
私たちにもできることってあるんだなと思った。
それに、子供をかわいがるとか一緒に遊ぶなんて、大したことないような気もするけど、
それは日本人の私にとってそうであるってだけで、そんなささいなことも簡単には手に入れることができない状況というのが、当然だけどあるのだ。
こういうのを目から鱗っていうのかな?
さて、時間はあっっという間に過ぎ、昨日と同じく名残惜しいながらもお別れ。
最後の最後まで、子供たちだけでなくおばちゃんたちまでが私たちを放してくれない。 抱きしめてキスしてくれたり、一緒に写真を撮ろうとしたり。
余談だけど、ここで神様がほんのちょっと私たちの味方をしてくれた。
バスが縁石(?)にぶつかって動かなくなってしまったのだ。最終的に別のバスを呼ぶことになったのだけど、
それまでの時間を、みんなそれぞれ有効利用したに違いない…と思う。
ではここで、チンチョ以外の共同体の訪問記を紹介しよう。
砂埃が舞い、殺伐とした雰囲気のある地区、サンタクルス。
「こんな何もないところで人々はどうやって暮らしているんだろう?水もなさそうだし…」
バスの窓から外を眺め、不謹慎とは思いつつそんなことを思ってしまった。
中央広場にバスを止めてドアを開けると、さっそく子供たちが、“Hola!”と元気よくあいさつしながら飛び込んできた。
バスの中に漂っていたお疲れムードも、一気に和んだ。どの子も本当にかわいらしく、きれいな目をしている。
お遊戯図書館へと移動してごはんを食べた後、話を聞く。
ゲリラなどによる国内紛争で難民化した人々が、サンタクルスやその他の共同体に移住してきた。
今はそれぞれの地に落ち着いているが、10年前までは、外から知らない人たちがバスに乗ってやってくると、子供たちはすぐさま逃げ出していたという。
今日の私たちへの歓迎は、大きな進歩と言えるだろう。
話を聞いた後、子供たちが民族舞踊を見せてくれた。 それからは、外に出てバレーやサッカーなどスポーツをしたり、そのまま部屋で折り紙をしたり…
いきなりやってきたコトバの通じない私たちにも子供たちはなついてくれて、心の底から楽しいと思える交流が出来た。
(ゆうこ)
砂漠の中に、たくさんの民家が建っている中をバスは走り、モンテレイへ到着。
「本当にこんなところで人が暮らしていけるのかな?」と思ってしまった。
そんな場所にあるCEDAPPの施設、お遊戯図書館。 …とは言っても小さなプレハブ小屋。
中は、まるで幼稚園のようにかわいらしく飾り付けしてあったけど、ある物といったら机、椅子、小さな本棚くらいで、
子供が遊べるような道具はほとんどないに等しかった。
まずは昼食。 まさにおもてなしで、量がすごい! そこで一緒に食べたのは、私たちとスタッフの女性たちだけで、
子供たちは加わることは出来なかった。 後から聞いた話によると、子供たちは一日に一回、芋などを食べられるだけだという。
それなのに、自分たちだけこんなおいしい料理を食べられて、しかも全部は食べきれずに少し残してしまって、それが心痛かった。
子供たちとの交流では、まず私たちがボイブンバというダンスを披露した。
最初は恥ずかしそうにしていた子供たちも、ちょっとずつ一緒に踊りだした。
また折り紙を始めると、「僕にも教えて!」「私にも!」と非常に興味津々。
でも子供たちはみんなお行儀がよく、先生のいうこともさっと聞いていた。
教育がしっかりしているし、そのようにして、両親が教えるべきことをここでフォローしているんだなと思った。
子供たちは、ペルーの3地方の踊りを見せてくれた。 日本人、少なくとも私は、自国の文化や踊りなどをあまり知らないので、少し恥ずかしい気もした。
シャボン玉を出すと、みんなが「私も吹きたい!」せがんできて、先生たちがいなかったら本当に収拾がつかないくらいだった。
帰り、子供たちは、私たちを乗せたバスをどこまでもどこまでも、走って追いかけてきた。
たった1時間ほどの交流だったのに、こんなにも私たちになついて、はしゃいでくれた子供たちを見ていたら、胸がつまるような思いだった。
それにしても、食事の量も少ないんだろうに、あんなに走る元気がいったいどこから出てくるんだろう…?
(レッド)
さて、すべての日程を終えて個人的な感想。
日本にいるときは、子供って苦手と思っていたのに、この2日間は、「なんてかわいいの!」と、自分から何度も抱きしめずにはいられなかった。
なんでだろう。 日本の子供が特にかわいくないなんてことはないし…。
ひとつには、きっと子供たちが私たちの訪問を本当に喜んでくれて、ひとなつこくくっつきまわってくれたことにあるのではないだろうか。
それだけ、彼らは“他人”あるいは“他人からの愛情”を必要としている、というか…
(もちろん日本でだって、場合によっては同じことが言えるかもしれないけど)。
まあとにかく、今回はそういう子供たちと接してみて、軽く母性本能が目覚めたのかもしれない。 すんごくかわいかった。
そして、ただ“かわいかった”だけでは終わらせたくないな、というのがペルー訪問直後の強烈な思いだ。
ラテンアメリカの、貧困とか児童労働、あるいは先住民の教育問題だとかは以前から興味があることではあった。
でもそれはせいぜい、そういう問題があるということを“知っている”に過ぎない、それ以上の枠を越えないモノだった。
今回のことは、その枠を越え次のステップに進む、いいきっかけなのかも…
そう思っていたら、いつの間にかペコチームができあがっていましたとさ。
(あやこ)
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